ANA国内線【PR】

言葉変換『もんじろう』用アイコン 移転します~!(しました)  

2012年 01月 03日

ブログ、移転します!しました!

これからもどうぞよろしくお願いします。

Yoko

Il cielo e' sempre piu' blu! Blu!
http://yoku1210.exblog.jp/

# by yokoala | 2012-01-03 19:44 | 日々 | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン 今年も本当にありがとうございました!  

2011年 12月 30日



2011年も終わり・・・・まだ年賀状を書き終わっていない田舎野郎です。

2011年・・最後の最後で超多忙を極めました。12月は本当ーにいろんな事がありました。月の半分を東京で過ごし、喜びあり~の、笑いあり~の、涙あり~の、。。。一カ月でした。でもなんとかうま~くおさまって、今はホ~~~ッとした気持ちで実家にいます。

5年振りの正月in Japan..やっぱあれですね、欧米のクリスマスの時期のように、日本の年末って何だかそわそわしますね~!仕事納めをして、平日にもかかわらず家にいる両親・・・みたいな そして黒豆を煮る父。ひっさびさに家族&親戚で迎える正月。ううううううウレシイx1000!

さて、それでは簡潔に今年を振り返りたいと思います。こういうの・・やらないと気が済まないタイプ・・・「年末だからいいじゃん、自己満足型年末締め」。



非常に私事ではありますが、やはり「卒業」の二文字を手に入れた事が一番大きな出来事でした。いや、間違いなく今まで生きてきた中で一番達成感を感じた出来事でした。本当に全力投球した一年。後悔する事なし。
同時に約6年におよんだ海外生活に一旦ピリオドを打ちました。言葉では言いつくすことのできない、かけがえのない6年でした。行けてよかった、勉強できてよかった、出会えてよかった。。。。かけがえのない、かけがえのない日々でした。帰って来ている今、なおさらそんな気持ちを強く感じています。そしてくじけそうになる時、いつもいつも私を後押ししてくれる原動力になっています。



そして日本を襲った大震災。なんだろう、きっかけは覚えていないのだけど、2年ぐらい前から「死ぬ」事がすごく身近になってきたんです。やっぱり自分も含め、皆が年をとっていく姿を見ていく中で、命には限りがある事、今の健康は一生続くわけではないのだと、ものすごく実感するようになりました。それ以来、「今日自分が死ぬかもしれない。もしくわ大好きな誰かが・・」なんてことを毎日、毎日考えながら生きています。地震があった事で、その気持ちは前以上に強くなったし、「今を生きる」事の大切さを本当に学びました。もちろん、怒るべきことではなかったけれど、学ばせてもらった事をずっと心に留めて生きていきたいです。そして来年は、更なる復興が東北を元気づけてくれると信じたいです。もちろん私も、自分のできる方法で元気づけていきたいです。



上の文章にもかかるけれど・・・

こんなに「あぁ、私もこんな年になったのねぇ・・」と思った年はありませんでした。べつにネガティブに「老けた」という意味ではなく、自分を取り巻く環境がすっごく変わりました。特に友人達の結婚は、私に「時の流れ」をまじまじと感じさせてくれました。「心に芋を、心に栗を」なんてのんきな事を言っている人もいれば、赤ちゃんを育てている人がわんさかいる年ですもんね・・・何この差(苦笑)
昔はどんな事でも一緒にやって、どんな気持でもシェアできるような関係だったけど、時の流れと共に必ず関係は変化するんだなぁって。でもそれは当然。私も変わったように、相手も変わったから。だけど、お互いに今の自分に合った友人がいるし、それでいいのだと。大好きな気持ちは変わらないのだから。そしてたまに会った時、酒を飲みながら懐かしい話ができれば最高ですよね。それぞれが、自分の「幸」とか「喜」を感じながら生きていけたらいいなぁって。

でも本心は、そんな時の流れにさみしさを感じる事があるんですよね。いや本当、20代半ばも「多感な時期」ですわ、オホホホ

今年もブログを通して、皆さんと交流できて本当に本当ーに楽しかったです。本当にブログなしでは語れない一年、皆さんに励まされ、元気をいただき、たっっくさん学ばせていただきました。
来年は、パワーアップしたブログになる予定ですので、末永くよろしくお願いします!皆さんにとってキラッキラの1年になりますように、日本にたくさんの希望をもたらす1年になりますように。

ではしばらく帰省します~!あー正月太りが怖いよ・・でも頭の中は餅と寿司、それに松坂牛に黒豆。あ、あとはアルコール

良いお年を~!

今日のBGMは福山雅治(セクシ~~~!)の「少年」。




# by yokoala | 2011-12-30 23:17 | 日々 | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン スピーチ:「Io e Lu Salentu: Lu sule, lu maru, e lu ientu 私とサレント:太陽、海、そして風」  

2011年 12月 29日



“Ma che bello!”. Io non dimenticherò mai quel giorno in cui stavo sul treno che portava da Bari a Lecce.

「わぁ、なんて素適なの・・!」。バーリからレッチェへ電車で向かった日、私はあの日を一生忘れません。



Si vedeva il mare blu e ovunque gli alberi di olivo sotto il sole.

見渡す限り真っ青な海が広がり、オリーブの木が太陽に照らされていました。



“Ho fatto la scelta giusta”, mi ripetevo e infatti, l'anno che ho trascorso sul tacco dello stivale è stato indimenticabile.


「私は、いい選択をしたぞ!」心の中で、そう何度も繰り返しました。そして実際に、ブーツの踵で過ごした一年は忘れられない一年となりました。



All’inizio, però la differenza culturale si faceva sentire. Quanto andavo in giro, i salentini mi guardavano curiosi come se fossi venuta dall'altro mondo. Il cuore batteva forte per la paura, tanto che per evitare gli sguardi facevo la spesa subito dopo pranzo, quando in giro non c'è nessuno.Mi dava fastidio essere guardata, perché mi sentivo esclusa.

しかし初めは、文化の違いに苦しみました。私が外に出ると、サレント人は私の事をジロジロ見ました。あたかも私が別世界からやってきた人間かのように。怖くて怖くて、心臓がドキドキしました。彼らに見られる事を避けるために、食料品の買い出しは人気の少ない、お昼ご飯の後の時間にさっと済ませるようになりました。
ジロジロ見られる事が、嫌で仕方がなかったです。私だけ締め出されているような気持ちになりました。



Avevo scelto Lecce perché avevo voglia di vedere il sud d’Italia, anche se tutti me lo avevano sconsigliato e in quel momento iniziavo a pensare di aver proprio sbagliato.

「南イタリアが見てみたい!」周りの反対を押し切ってまで、選んだレッチェだったのに・・・「私の選択は間違っていたのかな・・」そう思うようになりました。



Però, siccome non sono una che si arrende facilmente, ad un certo punto ho deciso di cambiare la mia vita: la spontaneità sarebbe stata la mia sola compagna in questa avventura italiana.

だけど、私はそんな簡単に物事を諦める人間ではない、ある日「ここでの生活をどうにか自分で変えよう」と決意しました。自分から動く事、「自発」だけが、私のイタリア冒険を支えてくれました。



Ho iniziato a salutare tutti con “Buon giorno, Signore! Buon giorno,Signora!” con un sorriso brillante sempre stampato sulla faccia. Cercavo di fare quattro chiacchiere con i vicini con quel po' d' italiano che conoscevo.

道で会う近所の人達に「こんにちわ、おじさん!こんにちわ、おばさん!」と満面の笑みで話しかけるようになりました。そして知っているイタリア語を使って、少しでも彼らと会話をしようとしました。



Per imparare la cucina salentina, ho iniziato a fare domande ai proprietari dei negozi: chiedevo come si pulivano le cozze o come si cucinavano le cime di rape che i salentini adorano mangiare. Ho cercato anche un lavoro in un'osteria.

体系維持と友達作りのために、ジムにも入りました。
サレント料理を学ぶために、お店の人にサレント人が大好きなムール貝の洗い方を聞いたり、チーパディラーペの料理法を聞きました。オステリアでアルバイトも探しました。



Facevo tutto questo perché volevo sentire i salentini intorno a me e superare le barriere culturali. Non volevo che i salentini mantenessero le distanze con me solo peché non sono italiana.


これらすべての事をしたのは、ただただサレント人を自分の心に感じたかったからです。そして文化の壁を乗り越えたかったのです。私がイタリア人じゃないという理由だけで、彼らが私と距離を置いてほしくなかったのです。



A poco a poco, anche i salentini hanno cambiato il loro modo di approcciarmi: mi chiamavano “Ciao Yoko!”.

少しずつ少しずつ、サレント人の私に対する接し方もかわりました。私を見つけると、「チャオYoko!」と呼んでくれました。



In palestra, ho conosciuto tanti amici, e un giorno un ragazzo mi ha chiesto: “ma tu abiti per caso in via Palmieri?”. Era Vincenzo, un ragazzo che abitava proprio vicino a casa mia. Ogni tanto lui e la sua fidanzata mi hanno invitato per un caffè. Anche Carlo, un istruttore della palestra dopo alcuni mesi è venuto insieme ad altri amici della palestra per una festa sushi a casa mia e una volta mi hanno portato anche al mare.


ジムでは、たくさんの友達ができました。そしてある日、一人の男性が私にこう聞きました。「君さ、もしかしてpalmieri通りに住んでる?」それは私の隣の家に住むVincenzoでした。それ以来、彼と彼の恋人は私をコーヒーに誘ってくれるようになりました。
ジムのインストラクターのCarloは、私がジムに入って何ヶ月か経ったとき、他のジムの友達と一緒にうちに来て、皆で寿司パーティーをしました。そのお礼にと、私を海に連れってくれました。



Mi sono sentita accettata anche dalle proprietarie dell’osteria che mi hanno detto: “allora, proviamo?”, pur sapendo che non parlavo bene l’italiano. Qualche volta si sono arrabbiate con me, perchè non capivo tutto quello che mi dicevano, però spesso i clienti mi si avvicinavano per dirmi: “hai un sorriso bellissimo!” e con queste parole tiravo avanti. Sempre. Quando ero in difficoltà, i salentini mi stavano vicino: “tu sei la beddrha mia! Ti voglio bene!”. Queste parole scaldavano il mio cuore.

オステリアのオーナーも、私がイタリア語が上手にしゃべれないと知りながらも、「じゃあやってみましょう!」と快く受け入れてくれました。私が彼女達の言っている事をすべて理解できなかったために怒られる事もありました。だけどそんな時、お客さんが「貴方の笑顔、素敵よ!」と言ってくれました。私はこの言葉があったからこそ、前に進むことができました。いつもそうでした。
私が困難につまづいた時、サレント人はいつもそばにいてくれ、「貴方は私達の愛しいYokoよ!貴方の事を大切に思っているのよ」と言ってくれました。この言葉が、いつも私の心を温めてくれました。



Mi piace tanto quando i salentini dicono in dialetto “lu sule, lu maru e lu ientu:lu Salentu”. È vero, i salentini sono come il mare e il sole. Mi hanno sempre accolto con un cuore grande proprio come il mare del Salento e mi hanno abbracciato forte per scaldarmi come il sole del Salento.

サレント人はサレントの事を「太陽、海、そして風」と表現します。私はその表現が大好きです。サレント人は、本当に太陽と海のような人達です。
私をサレントの海のような広い心で受け止めてくれ、サレントの太陽のように力強く、私を抱きしめてくれました。



Sono uscita persino sul giornale: “una studentessa giapponese a Lecce con la faccia tonda tonda”. Non centravo più con la ragazza chiusa e triste.

私は「レッチェにいる丸々した日本人学生」と新聞にも掲載されました。「閉じこもっていた私」はもうここにはいませんでいした。



Amavo la vita leccese e avevo trovato un tesoro: “lu salentu”.

レッチェの生活を愛し、そして1つの宝物を見つけていました。「サレント」という宝物。



「年末だからいいじゃん、超自己満足型スピーチテキスト」です!!!あと2日で今年もおわりです・・ねっウウウウウ~超楽しみっっっ

# by yokoala | 2011-12-29 23:29 | Italia | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン スピーチコンテスト~番外編~同じパッションをshare出来る事の喜び~  

2011年 12月 23日



イタリアスピーチコンテストが行われた、イタリア文化会館。さすがイタリアンテイスト、おっしゃれ~でした。私、イタリア人のセンスって個人的に大好きです



審査員の方々も言っていましたが、今年の出場者は、イタリアの田舎での思い出を語る人がけっこういたのです。もちろん私もそうですし、あとはカラブリアでの思ひ出を話す人や、シチリアでの思ひ出を話す人・・・

さすが南イタリア、言う内容がめっちゃ似ていたのです!!!

うわ~すごい、やっぱり日本人から見て、イタリア人のこういうとこが好き!っていう所って似ているんだなぁって改めて思いました。

カラブリアでの思ひ出を話した方は、スーパーに行くと、食べ物1つから近くの人と会話が始まるイタリア人のフレンドリーさにびっくりした事や、町を歩けば皆があいさつしてくれた事などなど・・・

わ、わかるーーーー!とかなり頷きながら聞き入りました。

そしてシチリアの話をした方のスピーチには、思わず涙してしまいました。彼はスピーチの中でこう言いました。

「シチリア人は僕にとっても親切にしてくれました。だから聞いたのです。”なぜ僕にそんなに親切にしてくれるの?”って。そしたら彼らは言いました。”君の両親は君の事大事に思っているでしょ?それと一緒。君は僕らにとって息子のような存在だからね”って。」

ボロボロ涙が・・・・・。

わ、わかるーーーーー(涙)私もレッチェにいた頃は、皆心配してくれ、いつもそばにいてくれて・・・・彼らの溢れんばかりの温かさに私も支えられ、最高の一年を過ごせた、そしてそれをスピーチで発表する事ができた・・・。

皆で文句言って、ぶーぶー言って、いいわけばっかり言って。でも皆で支えあって、皆で喜びも痛みも分かち合っていく・・・私はイタリア人のそういう所が大大大好き。(って今までに何度書いたか・・・しつこいね)
すっごく人間らしくって、温かさいっぱいで。



もう1つ、私がスピーチコンテストで嬉しかった事は、イタリア大好き~な皆さんと「イタリア熱」を分かち合えた事~!

先日、何人かの方と飲みに行って来ましたっ

その中の1人の方がスピーチで話していた事。

「周りからはどうして英語をしないの?中国語や韓国語の方が役立つんじゃないの?と言われましたが、私にとってはイタリア語に出会えた事が大きな喜びであり、イタリア語が私の人生を変えてくれました。イタリアとの出会いは私に新しい人生を歩む扉をあけてくれました」って。

またウルウル・・・・

わ、わかるーーーーー!

私も全く同じ思いです。始めはチンップンカンプンで、マウラ先生にしごかれまくって・・・便所で泣いて・・でもやめようと思った事は一度もなくて。(たぶん)
イタリア語が役立つ役立たないなんてこと、本当にどうでもよくって。

イタリアに出会えた事、そしてイタリア語を始めた事が私の人生を変えてくれたんだもん!!!

本当、思うのです。私、イタリアと出会う前より今の方がもっともっと毎日がハッピーなのです。そういう意味でのレッチェでの1年は本当に大きかった。私をこんなにも変えてくれたのだから。日々辛い事も悲しい事もあるのは今までと何も変わりないのだけど、イタリアに出会えた事で前よりハッピーと思える自分がいて・・表現するのがすごく難しいけど・・・。私にとっては支えかなぁ。そしてパッション。

そんな「宝物」に出会えて本当によかったと改めて気づけた事、そしてそんな宝物を分かち合える方々と出会えてよかった!それが今回のスピーチコンテストでの何よりの収穫です。



コンテストの後は皆で小パーティー!

実はね、このコンテストの日は朝ヨーグルトとコーヒーを口にした後は何も食べていなかったのです。始まる前に出場者の皆さんとランチだったのですが、誰も食欲がなく(笑)、コーヒーで終わり。そしてスピーチが終わった途端、鳴りまくる私の腹・・・

でも、いざ優勝なんていただくと、もう胸がいっぱいでやっぱり食欲がなくなって・・ワインを少しいただきながらちょっとつまんだだけ。うちの母なんてめーーっちゃ食べてましたよ

そしたらお客さんが「おめでとう!」と話しかけてくれたのですが、「今何してるの?」って聞かれたので「就職活動中です」って言ったら

「あ、あなた失業ちゅうなのね!!」

にーがーわーらーい x 100

その後も、

「あなたなまってるわね~外国人?」

No, sono giapponese...私日本人です。

「あなた、オペラやってたでしょ?」

Nooooooo!私がオペラをする日が来たら、それは間違いなく地球が滅びる日です。

でもね、ある人が言っていた言葉。「私、イタリア語聞くとゾクゾクするんです」
わーーーかーーーるーー!「ciao!」って聞くだけでクラッとする時ありますもん、私も!「ん~っもうっ!カッワイイナァッ」って。



そして来てくれたYasu&Izumiさんとさよならして・・・

母と二人、東京駅。

急に疲れがドバーーーーーッと出てきて、重たい景品かついで頭がボーーーッ。嬉しさを通り越して、ちょっと意味不明な心理状況。

「と、とりあえずお茶しよか・・」と超おもむろに2人でスターバックス。

いただいた航空券を見るも、実感が涌かずボーーーーッ。「つ、つかれたな・・・・」と言ってドリンクを一気飲み。

「ほいじゃあまた明日!」とばいばい。母は新幹線、私は・・夜行バス(苦笑いx100)

そのあと、大好きな丸ビルを独りでウロウロ・・かっわいい~服がたっくさ~んあったのだけど、やっぱり頭がボーッと、宙にういてるような感じで「ハ・・ハハハハハ・・・」とどしようもない笑みを独りでうかべて退場。



さぁ・・・とりあえずなんとか姉宅まで戻らなければ・・と荷物をガシッと持って電車でゴトンゴトン。

そうすると、ウォークマンから聞こえてきたのは・・・

私のレッチェ時代の応援歌、Rino Gaetanoのil cielo e' sempre piu' blu。

つらい事があった時、いつも空を見上げて「il cielo e' sempre piu' blu~空はいつも、どんどん青くなってくから~」と自分を元気づけていたっけ。物事も必ずいい方向に進むからって。
そんなメッセージをイタリア語で受け取れるようになった事が嬉しくて嬉しくて、ほんっまにイタリアに出会えてよかったなぁって思ったら、やっと肩の力が抜けて泣きそうになりました。「あー優勝できて嬉しい」って素直に思いました。

が、その後も私の奇怪な行動は続き・・

夜行バスに乗る前に腹ごしらえ!と思い、デパートの屋上に行こうとするものの、エレベーターが動かない。「おいおいおい」と思っていたら、すでに閉店してました(汗)

そして・・・



たどりついたのはラーメン!年に数回しか食べないラーメン!しかも超こってり豚骨!!でもやっぱり頭はぼーーーっとしてました。

---------------------------------------------バスの中---------------------------------------------------



おはようございます

家に帰り、朝飯じゃ~~!と気合を入れたのもつかのま、空のおちゃわんを電子レンジでチンしてました・・ご飯はいってへんやん!よほど「優勝」の2文字に興奮していたようです。

いつも同様、とりとめもないことをズラズラ書いてしまいましたが・・・・

皆さん、メリークリスマス!日本は週末も重なりましたので、ラブリーな2日間をお過ごしください!

ちなみに私は、日中はフトゥーにアルバイト。クリスマス一色なので、ふだんはフトゥーに出しているポテトサラダも、明日は雪だるまに見立てて出します(爆笑)べつに爆笑でもないか・・・明日の私の担当:「仕込みと雪だるま」ですからね

今il cielo e' sempre piu' blu聞いてたら、一刻も早くイタリアに行きたくなってきました!ヤバイ!メリークリスマス!ヤバイ!メリークリスマス

# by yokoala | 2011-12-23 23:27 | 日々 | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン 第21回イタリア語スピーチコンテスト  

2011年 12月 14日



12月11日に、東京のイタリア文化会館アニエッリホールで、公益財団法人日伊協会、イタリア文化会館主催で行われた第21回イタリア語スピーチコンテスト。

原稿の書類審査を通過した12名の中に私も選ばれ、スピーチをしました。

そして・・



私、優勝しました~!!!私のスピーチのタイトルは「私とサレント:海・太陽、そして風 Io e Lu Salentu: Lu sule, lu maru e lu ientu」 サレントは、レッチェのあるプーリア州の中でも南の地方を指します。



私ね、夏に卒業してヨーロッパを去ることを決めた時、決意していた事があったのです。日本に帰ったら、就職活動を一番優先していくのはもちろんだけど、「日本でしかできない事に積極的に取り組もう!」と。だからボランティアも絶対すると決めていたし、去年も原稿を書こうかと考えていたスピーチコンテストに今年こそは送ろうと・・就職活動が長引く事は分っていたから、どうにかして自分を励ましたかったのです。

そして高校の先生からスピーチコンテストの情報を聞き、「あ、そうやそうや!」と後押しされ、原稿を書くことを決意しました。



もちろん内容は、レッチェでの思い出と決めていたけれど・・書きたい事が多過ぎて、5分のスピーチには全くおさまらない・・就職活動もあるし、ただただ時間だけが過ぎて行きました。

そして「今日は絶対に書く!」と決めて、小学生の頃から使っているような使っていないような勉強机にむかい、大好きなイタリア語の曲を聞きながら、とりあえず思い浮かぶ事をタイプしていきました。

初めてバーリ(プーリア州都)からレッチェ行きの電車に乗って見た、あのすばらしい景色。皆の反対を押し切ってレッチェに来てよかったとすぐに思った事。でも新生活はやっぱりそんな簡単ではなかったこと。だからこそ、自分から一歩踏み出す気持ちを大事にした事。そうしたらサレント人と私の心の距離が確実に縮まっていった事・・・

あの一年での自分の心の変化というものが、どんどん思い出されてきました。そして気づけば目からはボロボロ涙が・・・。自分の事を大事に思ってくれて、それを思いっきり表現してくれたサレント人とのかけがえのない瞬間瞬間がどんどんよみがえってきて、大泣きしながら原稿を仕上げました。そして出来上がった「私とサレント」。



本選出場が決まった時は、本当に嬉しくて嬉しくて・・。親も「久々に明るいニュースやなぁ!」と喜んでくれました。

そこからは、猛特訓しました。「暗記される事をお勧めします」と書かれていたので「ゲゲゲゲの鬼太郎」と思いながらも風呂の中に原稿をもちこんで、最初はひたすら暗記。

この辺で気づいた事・・・「ありゃありゃ、私の原稿・・内容がごっつシンプルやん・・・単語も本当に初級者レベルの単語ばっかり・・・」

そして暗記ができたら、次は表現の練習。父親と大好きカフェ・caffe dolceのお姉さん2人を巻き込んで練習(笑) イタリア語の分らない父親に内容を話し、雰囲気をつかんでもらいました。「抑揚をつけろ!!」と言われて、がんばってつけるものの、一行一行が本当に濃い文章だったので、最初から最後まで力がはいってしまって抑揚がつかず・・・・苦笑

でも3人からのアドバイスを受けながら練習していくうちに、どんどんよくなっていき・・・車の中でも、夜行バスの中でもとにかく練習。読みながらまた気持ちがこみ上げて涙する事もありました。(自分の文章に酔い過ぎ)でもそれぐらい、自分の素直な気持ちをぶつけた原稿でした。



実は前日は私の誕生日でした。母と東京入りし(あんだけ行くと言っていた父は、最終的に娘より”お山”を優先した)イタリアンでお祝してもらいました。ワインを飲みながら、イタリア語がさっぱり分らない母にも明日話す内容を言いました。そしたら母も涙し、「そりゃぁ・・あんたがあんだけレッチェへ帰りたくなるのも無理ないわぁ・・」ってポツッ。

内容はシンプルだから、後は見に来てくれる人に対する精一杯の表現、これだけにベストを尽くそうとおもいました。私が感じたサレントを聞いて頂きたいという思い。



本番はうまくいきました。すこし単語を間違えたけど、全くつまることなくスピーチができました。質疑応答は・・まぁまぁでしょうか^^; あれだけ猛特訓したかいがあったよ。

他の人のスピーチの内容もほんっっとうに素晴らしく、皆めっちゃ上手で・・・・

自分が優勝をもらえるとは思ってなかったので、びっくりしました。



そしてこのコンテストのすごいところは・・・・入賞者への賞品がものすごく豪華な事・・

私は優勝したので、賞状、トロフィー、日本イタリア往復航空券、語学学校1カ月分の授業料免除、滞在費、辞書、そして大量のイタリア食品をいただきました。
ということで・・・そのうちイタリア行きます~!キャ~~~~~~



でもね、今から書く事は本当の本当の本音なのですが・・・。イタリア行きを頂いた事なんかよりも、私が一番嬉しかったのは、「私らしさを認めてもらえた事」。コンテストが終わった後、お客さんも含めてミニパーティーが行われました。その時に審査員の方とお話する機会があり、「おめでとう」と言っていただきました。「ありがとうございます。でも、私のスピーチ内容が一番シンプルでしたよね・・・」って言うと、「うん、それはそうね。でもあなたはプレゼンテーション(表現力)がずば抜けていたよ。満場一致でした」と言ってくれたのです。(このコンテストは、スピーチ内容、発音、表現力、質疑応答などを評価されます)

プレゼンテーション・・・それは私が一番努力して取り組んだ所。伝えたい!その場を提供するのがスピーチコンテストだと思うから、聞き手の心に少しでも残るように話すにはどうしたらいいかな・・と試行錯誤しました。

就職活動をしていて、自分を見失う事が幾度となくあります。でもやっぱり自分らしくいる事って大事なんだなって。自分を信じてまっすぐに取り組めたこと、そしてその思いが「届いた」という事が本当に嬉しかったです。ものすごい自分に自信がつきました。

もう1つは、一緒に本選に参加した方との出会い!超イタリア好きが集まり、かなり盛り上がりました!そして皆さんのスピーチからも、たっっくさんの事を学ばせていただきました。次の記事に書こうと思います。もう何がって、イタリア最高



努力は絶対に人を裏切らないから・・・自分らしく努力する事。そうすれば、その人はもっともっと輝くから!と私はマジでそう思っています。「何かは必ず起こるよ!」と言ってくれたルイザ教授の言葉。こんな形で起こりました。

見に来てくださったYasu, Izumiさん、そして「Yokoさんのブログ読んでます!!」と話しかけてくださったYさん、本当に本当にありがとうございました。

私もついに25!アラサー!日本に帰って来てからも「今一年生ですか?(大学)」と間違えられる、どうしようもない「ガキの心を忘れない田舎野郎」ですが、どうぞ宜しくお願いします。

25歳にして生まれて初めてもらったトロフィー・・・最高の誕生日プレゼントです!

PS 実は今から「食べ放題」に行って来ますので、次回必ずコメントおかえしします!ごめんなさい!!><

# by yokoala | 2011-12-14 17:39 | Italia | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン Something will definitely come up!  

2011年 12月 13日



もう一カ月も経つのね・・・

私が岩手から東京に寄った理由は、大学で大変お世話になったルイザ教授が来日していたからなのですっ!

ルイザ教授からは地理と政治を混ぜた「地政学」を習いました。1年生の頃から受け持ってもらい、大変お世話になった教授。日本の大学の研究者とも仕事をしており、ルイザ教授の旦那様も地理学者。彼もまた、日本の大学で毎年秋に講義を開いているので、この時期になると日本にやってくるのです。そんな生活をもう10年も続ける2人は、超がつく親日家です 私が日本人だったというのもあるのか、在学中は本当によくしてくれました。

ルイザ教授はポーランド人ですが、小さい頃からマルタ(イタリアの下にある小さな国)の寮制の学校に入って大学はアメリカへ。5ヶ国語を操ります。そしてルイザの旦那さんはなんとイタリア人!それも私とルイザを繋げてくれた大きな鍵だったのです

大好きな大好きなルイザ教授に会えるぅ~!と思えば、夜行バスの疲れも我慢できました池袋で待ち合わせ「This is amazing!!!」と声高々に再会を喜びました。そして旦那さまとも初対面!

何がおもしろいって、私がイタリア行く前までは私とルイザのあいさつはハグだったのに、私がイタリアから帰ってくると同時にほっぺにキスのあいさつな~んか不思議です。

もう話したい事が山ほどあって、ボランティアの事に進路の事に・・・なぜか英語とイタリア語がごっちゃスターバックスでものっすごい大きい声でしゃべってしもた・・・「ごめんね・・」というと、優しいルイザは「don't worry, you're fun!」と言ってくれました。

あまりにも2人と過ごした時間が楽しくて、書きたい事がたーくさんあるのですが、今回はずーっと頭から離れないルイザ教授が言ってくれた言葉にまつわる事。
私が進路に対して悩んでいる事をすごく理解してくれ、「そう、それなんです!!」とピンポイントをどんどんついてくれたのでびっくりしました。

そして一緒に行った無印の試着室の前で彼女は言いました。「Yoko。心配しなくても大丈夫。あなたの気持ちはよーーーく分るよ。人生は自分の思い通りにはいかない。でもね、貴方はエネルギッシュな人で、あなたなら絶対に大丈夫だと私は言いきれるわ!今は地道にふんばらなきゃいけない期間かもしれない。報われないかもしれない。でも大丈夫。何かは必ず起こるから!Something will definitely come up!」。

この言葉にどれだけ救われたでしょうか。もうルイザ教授が神様にみえましたよ(笑)ヨーロッパでの再会を誓って、2人とさよならしました。

姉宅へ戻ると母から電話。

「あんた!!えらいことやで!!この前受けたとこ、一次受かっとるで!!!」

ウオーーーーーーーー 実感が涌かないまま19時就寝。夜行バスの疲れは後から必ずでます(苦笑)

私はね、ルイザ教授が言ってくれたお言葉を「何かは起こるから。でも自分からどんどんトライしていこうね。」と解釈しました。待っているだけでは絶対に駄目なのです。待っていて誰かが仕事をくれるわけがなく、自分を売り込んでこそ、向こうから反応が来ますもんね。

次の日、早速ルイザ教授にメールをしました。2人はすでにヨーロッパへ戻る飛行機の中。「昨日は本当にありがとうございました。あれから家に帰ったら、母から連絡があって、話していた仕事の一次審査に通りました。自分の今までの努力が少し報われた気がします。Something will definitely come up..これを信じて私はトライし続けます!I'll keep trying!」と。だってね、この試験一回落ちましたから(汗)

そして・・・・



早速ご褒美探し in Tokyo!!(爆)わずかではありますが、アルバイト代が入ったので自分へのご褒美・・・



ずーっと行きたかった御徒町!ずっと前にテレビでやっていて行きたかったところです。御徒町と秋葉原駅の間にある2k540は「ものづくり」をテーマとしたファッション・アクセサリーのお店があるショッピングスペースです。こだわりの品がい~っぱい!かっわいいものがいーーーっぱいありました!(高いけど・・)

そして私が発見したのは・・・



このハンカチーフ!!タイトルが「グリーンキャンディー」ですよ!!た、たしかに・・こんな柄のキャンディーある!!!と一目ぼれしてお買い上げ 実はこのハンカチーフは、メンズ用なのだけど女性でもOKって言われたし、なんせこの茶目っ気が最高・・・度ツボです。

そして渋谷の行きつけの安い回転ずしに行って、そこから原宿を通って表参道ヒルズへ・・・



ラビットファーのヘアバンド~!感触さいっこう実は昔、これのひょう柄を持っていたのだけど、イギリスからイタリアに荷物を送ったら・・と、とどかなくって・・その中に入ってました(号泣)コイツはもう絶対逃がしません。

このタイプのヘアバンドはかなりパンチがきいているのだけど、私、基本帽子って似合わないし・・なんせ頭がめちゃくちゃデカイんですよ・・・ほんっとうにでかいんですよ。
このバンドをはめて、目指すは・・エスキモーのエスちゃん

そんなこんなで、また長々と、とりとめもない事を書いてしまいました・・・・・ブログで「これ買いました!」ってかわいい写真をみると、かなり刺激を受けるのです。なので私も「物・ブツ紹介」もたまにしていこうと思います。

なんかね~、ボランティアといい、ルイザ教授といい、家族といい、友人といい、高校時代の恩師といい・・・皆本当に励ましてくれるのです。そしてそのおかげでめっちゃ元気が涌くのです。悩みながらでいいから、前進するぞ!とエネルギーを頂くのです。something will definitely come upだと信じられるのです。ありがとう、ありがとう・・・感謝の気持ちでいっぱい。



そして先日、somethingはこんな形でも起こったのです。何かが起こったのです!!!

次へ・・つ・づ・く

# by yokoala | 2011-12-13 22:04 | 日々 | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン みえボラ:番外編~盛岡~  

2011年 12月 12日



現地スタッフの外館さん、そして千葉から来てみえボラと一緒に活動していた健さんのが見送ってくださり、私は山田町をあとにしました。かなりこみあげるものが・・・



もう・・・イヤン、

旅欲が再びフツフツとわいてくるではありませんか!!!イヤンイヤンイヤン!

日本にも美しい所はい~っぱいあるんだね・・。物ごころついてからの国内遠征経験が少ない私の中で、長野県の美しさが一番印象に残っているのですが、山田町もかなりポイント高し・・何度も書くけれど、日本にいると、たいがいどこにいても向こうには綺麗な綺麗なお山が見えますよね。それを「美しい」と自覚(?)するようになったのは、つい最近の事。本当にありふれた言い方ですが、日本から出てわかる日本の美しさって本当にい~っぱいあるんですよね><人より遅かれ、気づくことができてよかったなぁと心から思う今日この頃。



外館さんが「はい、これ。また旅したくなる飲み物だよ!」ってプレゼントしてくれました。

今回の山田町滞在で、地域の名産をいろいろいただきました。牡蠣はもちろん、まんぼうの刺身(激うまでした)、黒蜜とクルミがはいったおもちのような和菓子、さんまの刺身・・そして実家には、これまた山田町の名産である鮭をその場で切り身にさばいてもらい、クール便で送ってもらいました。イカの塩辛も一緒に・・♪

その地域で受け継がれてきた物を口にする事。。。これは旅欲をどんどん掻き立てる大きな要素の1つ



心にブドウを・・芋を・・栗を・・をスローガンに日々過ごした今秋。母と共に、「これでもか!」というぐらいにこの3つを食べまくりました。こんなに秋の美食に燃えた事ってないかも

そして東北では、美しい紅葉を毎日見られてお腹一杯。ちなみに今は、こちらでも紅葉がものっすごくきれいです。東京も綺麗やったなぁ・・♪

四季があるって・・最高!



山田町から宮古駅までは、市バスで1時間弱。

宮古市や山田町には三陸鉄道がとおっていたのだけれど、山田町の駅は跡形もなく流されてしまいました。

宮古市から少し北上し、盛岡を目指します。各停で約2時間。



牡蠣のなごりで、腹はパンッパン。



出発進行!!

あれ?さっき「腹ぱんぱん」って書いたくせに手にはビスケット・・・・ボリボリボリボリ。



電車からは、仮設住宅がいくつかみえました。やはり内陸の方に移って来ているのですね。

前にも書いたけれど、今回実際に被害を受けた場所を見て、改めて津波の恐ろしさを感じました。というのも、被害は本当に沿岸部のみに集中していました。
そしてもう1つびっくりしたのが、周りの家がすべて流されていたにもかかわらず、土蔵造りの蔵(倉)だけは流されずしっかり残っていた事。

メンバーの中に、建物に詳しい方がけっこういて、「ほら見て。蔵は残ってるよ。丈夫なんだね」と言われて「ほんまや!!」と気づいた私。確かに周りは何もないのに、ポツンと立つ蔵をいくつか見て「なんでやろ~・・」と思っていたのです。1人で行ったら気付けなかった発見。やはり、チームで活動する事って本当に意味があるのだなと。

ちなみにリュックにささっているのは、岩手新聞。父に見せたら絶対喜ぶやろなぁと思ったら、案の上大喜び・・・私ってなんでこんなに親思いなのでしょうか>< 嘘。JOKES。



ビスケットをほおばりながら、いつのまにかスヤスヤスヤ・・・・ZZZZ 「カーーーッ」と鼻からぬけるようないびきをかいたのでは・・と心配になるぐらい爆睡しました。

----------------------------------そして2時間後---------------------------------------------------------



盛岡~!!!!

とりあえず、クソ重い荷物をコインロッカーに入れて散策開始!!まずは土産小岩井シリーズのクッキーを姉・友人に買って、両親には日本酒。

岩手で過ごした1週間で、(私なりに)かなりお金を使いました。でもno problem、お金をおとして経済効果に少しでも貢献せねば・・・

夜の盛岡を散策。私のカメラは、暗闇では力を全く発揮しませんので写真はありません><

でもね、盛岡、素適な所でした~!またぜひ行きたいです。何をするわけでもなく、ぶらぶら歩きました。「岩手県庁は素敵だよ~」と聞いていたのですが、見つける事できず・・><
でもあれですね、かなり内陸にある盛岡には、同じ県であんな大惨事があった事を思わせない、何1つ変哲のない町の姿がありました。もちろんこれは表面上だけの事で、避難してきた方もみえるでしょうし、間違いなく盛岡市民の生活にも変化はあったはずです。

でも何でしょうか、「温度差」ってあるような気がします。それはいろんな規模で・・山田町の中でも実際に被害を受けた人と受けなかった人、岩手県の中でも被害をうけた地域の人とそうでない人、また日本国内でも被害をうけた県民の人と受けなかったの人の間にある、今回の震災に対する思いというか・・

山田町で車からパチンコ屋が見えました。車がたっくさん止まっていました。正直、最初はびっくりしました。でも逆に考えてみれば、そこまで山田町にも日常が戻りつつあるのかもしれない・・と。もちろん町民全員にではないです。まだまだ被害に苦しむ人からすれば、「同じ町民が苦しんでいるのに、どうしてパチンコなの・・」と思う人もいるかもしれません。でも、この「温度差」は解決の仕様がないですよね。パチンコに行く人の中には、被害に遭って気を紛らわすために行く人もいるかもしれないし、パチンコ屋が再開する事で雇用もできるわけですし・・
本当に難しいなぁ・・・・と考えさせられました。でも、その「温度差」を実感したからこそ、私には瓦礫処理という形で少しは山田町の役に立てる!と気づかされ、頑張れました。

すみません、いつも通り話がずれました

おもむろにコンビニで缶ビールを買って、独りで「お疲れ様」とつぶやいてグビッすっかり一本で気分をよくした私は、そのままカラオケへ・・・笑

いや~・・・テレサを2回も歌ってしまいました!!ひっさびさのカラオケ!いや~、私年齢が増すごとに更に歌うのが下手になっています!!

テレサを歌っていると、父からは「さっき鮭と塩辛が届きました。日本酒が進みます」とメールが・・

テレサと塩辛・・・・

そして「わんこそばを食べるぞ!!」と力んでいた私も、さすがに牡蠣30個とビスケットにやられてしまい、諦める事に・・その代わりに・・・



ビールちゃんと、



盛岡名物「じゃじゃ麺」をいただきました。(え、やっぱり炭水化物かよ!少なくともわんこそば10杯分はあるよね)肉みそのようなものを麺にからめて食べるそうです。そして最後に、卵を割ってお湯を注ぎ「卵スープ」にするのが盛岡流だそうです

でもじゃじゃ麺は残念ながら、私の好みではありませんでした><

そんなこんなで、数時間の盛岡滞在を楽しんで東京行きの夜行バスに乗車・・・♪

# by yokoala | 2011-12-12 17:32 | 日々 | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン みえボら:9「とっとぎ」  

2011年 12月 09日



最後の日。

実は私は帰りは皆と別。最後の最後で個人主義発揮か?!ではなくて、東京にどうしても寄らなければならなかったのです。ということで前夜のミーティングで最後のあいさつをしました。

メンバーに感謝の気持ちでいっぱいで、伝えたい事が多過ぎたので事前にメモ。「これ以上話すと涙が出るので終わります。本当にありがとうございました」と言って終わりました。

毎朝、センターの担当の方が活動内容のチェックと一緒に「山田弁講座」を開いてくれました。山田弁、さっっぱり分りませんでした標準語で話してくれると分るのですが・・でもイントネーションも違うし、初めての「生の東北弁」はかなり新鮮でした控え目で、あったか~い東北の人にぴったりですね、このイントネーション。

山田弁で「とっとぎ」「大事なもの」を意味するそうです。私も山田町、そしてメンバーの方々からたっっくさんのとっとぎを頂きました。それを思うと涙がこみ上げそうで、寝袋の中でブルブル震えながら眠れない日々がありました。

「合同慰霊祭の時に、これからは絶対泣かないと決めたので泣きません。みえボラの皆さん、本当にありがとうございました」と深々とお礼してセンター長があいさつしてくださいました。

いつも山田弁を教えてくださった方は、「震災直後は、涙すら出ませんでした。でもこうしてみえボラさんが来て下さるようになって、本当に元気づけられました。もう、次のみえボラさんが来てくれないかと思うと本当にさみしいです」と泣きながら、でもすごく力強くお話してくれました。

4月から始まったみえボラ。1~36便の総勢の参加者は600人を上回でしょう。少しずつ、少しずつ築きあげられたみえボラと山田町の「絆」。



2軒のがれき撤去が終わりました。

皆で過ごした一週間。まさに「とっとぎ」です。本当に、本当~~にありがとうございました。



最後のランチは山田町の名産、牡蠣の食べ放題!!!



殻のままの牡蠣を蒸してもらい、とにかく食べまくる!!といういたってシンプルなルール
30個以上は食べたね。。。激うま



たくさんの「とっとぎ」を胸に、いよいよ出発です。

実は、この時点で一足早く出発していた私。ここからは、後に頂いた写真を使ってます。話によると、それはそれは感動のフィナーレやったそうです。



最後に、山田町の方がバスの前でこんな形で感謝の気持ちを表してくれたそうです。もう何度見ても泣けるよ・・



こんなにもたっくさんの人が列を作ってくれて見送ってくれたそうです。みえボラに参加した人全員にむけてのメッセージ。



どうかどうか、山田町に一日も早く元の生活が戻りますように・・・



もうあかんわ・・何回見ても泣けてきます。山田町の皆さん、本当にありがとうございました。



絆。。。 この一週間でいただいた「とっとぎ」を私は一生忘れません。



んなのがおがみたいから。みんなのえがおが何よりの「とっとぎ」。

おわりっ

---------------------------------------------------------------------------------------------------------

自分の伝えたい事を、どうやったらうまくまとめられるかなぁとノートとにらめっこしながら書きました。ボランティアに対する考えは、あくまでも私一個人の考えなので異なった考え方をする方もみえると思います。

個人主義を最後に発揮してしまった私は、この後盛岡に行って、そこから東京へ・・・その様子を次の記事で「番外編」でお伝えしたいなぁと思いますっ

それではめっちゃ寒くなってきました・・・どうかどうか、風邪に気をつけて素適な週末をお過ごしください~!Have a lovely weekend, Buon fine settimana a tutti~~ あ~さんび~~~~。(山田弁で「寒い」)


# by yokoala | 2011-12-09 22:27 | 日々 | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン みえボラ:8「ボランティアとは・・共生じゃないかなぁ」  

2011年 12月 08日



「ボランティア」って、人によって捉え方も定義の仕方も異なると思います。私も未だに、ボランティアというアイデアをどう理解していいか分らない時があります。

でも、今回の経験も経て、間違いなく言える事「ボランティアは一方的に奉仕する行為ではないという事」です。 行く前に読んだ本の中に、「ボランティアとは共生である」と書かれていました。

共生。。互いに作用し合う状態で生活する事。なるほど、何だか私が今回のボランティアを通した感じた思いに近いものがありました。



2軒目のお宅は、この海の前にありました。私達ががれき撤去を始める9時になると、奥さんが毎朝あいさつをしにきてくれました。被害に実際合われた方の姿を見るとなんともつらいのですが、私達ボランティアメンバーに深々とおじきをしてくださり、「絶対帰るまでに綺麗にしてみせる」という気持ちが涌いた事を覚えています。

そして、近くに公共の建物もなくトイレに困る私達のために、道路をはさんだ向こう側に住むYさんが自宅のトイレを使ってくださいと申し出てくれたのです。休憩中にトイレをお借りしようと、他のメンバーと何人かでお邪魔しました。実はその前の日もトイレを借りていた私。その時から「お茶でもどうぞ」と奥さんが声をかけてくれていました。でも作業もあるし・・「お気持ちだけいただきます。ありがとうございます」と私達はYさん宅をあとにしました。

そして再びトイレをお借りすると、やはり「お茶でもどうぞ。あがっていってください」と言って下さいました。ちょうどメンバーの中に、Yさんと同じ年代のKさんがみえたのでKさんががお茶をいただく事になり、私達は先に作業に戻りました。

というのも、その時のYさんは私には「話相手がほしい」という風に映ったのです。そして、それを感じ取ったのは他のメンバーも同じ。「こうやって被害を目のあたりにした方のお話を聞かせていただくのも、そして話相手になるのもボランティアかもしれないね」と意見が一致し、Kさんが残る事になりました。



そしてメンバーのKさんがYさん宅から戻って来て教えてくれた事。Yさんは独り暮らし。(そんなふうには全くみえなかった)私達ががれき撤去をしているお家のある海沿いの家(Yさん宅からもみえる)の方々の多くが「大丈夫だろう」という気持ちでそのまま家に残り、逃げ遅れた事。道路を挟んで高台に住むYさん宅のエリアはなんとか助かった事。

「KさんがYさん宅に残ってくれてよかったなぁ」と心から思いました。独り暮らしで話相手も少ないだろう・・今までご近所さんだった方々が家と共に流されていく光景を目にして、それを独りで受け止めなければいけなかったYさんはさぞかしつらかっただろう・・・と思うと、こうやってお話を聞かせていただく事は「ボランティアの1つ」ではないかなぁと思いました。

Yさんが自宅のトイレを貸してして下さったおかげで、私達は瓦礫撤去の作業を行う事ができました。そしてメンバーのKさんがYさんと時間を共にした事で、願わくばYさんの心が少しは軽くなったかなと・・。

「お互いが作用し合っている」というと、なんだか機械的に聞こえますが、私達みえボラが一方的に山田町を支援したのではなく、私達は山田町民の方々の助け・優しさに支えられ作業を行う事はできたのはもちろん、彼らの「何くそ!負けるもんか!」という前向きな姿にたっくさんパワーをいただきました。

お互いを高め合う関係性が、山田町とみえボラの間には確実にできていた気がします。それに気がついた時、「共生」という言葉が自分の中でクリックしましたカチッ




今朝のYokoのBGMはH2Oの「想い出がいっぱい」。エエ歌やの~ぉ・・・・・・朝から泣けるやんっ ちなみに好きなフレーズは「君はまだ、シンデレラっさっ」。この「ラっさ」のリズムがめっちゃいいですぅ

# by yokoala | 2011-12-08 10:59 | 日々 | Trackback

言葉変換『もんじろう』用アイコン みえボラ:7「ここでも見れた、un bellissimo cielo stellato」  

2011年 12月 06日



すみません、ながっながとみえボラのことばかり書いて・・10回で終わりますm(__)m

私達は毎朝、6時半からラジオ体操をしていました。ラジオ体操なんて、本当小学生以来!あの時もたいしてまじめな小学生ではなかったので、毎日行った記憶は全くないな・・・・(汗)

今回の参加者は学生、社会人、退職後に第二の人生を楽しむそんな三世代が集まっていました。それにしても、私の倍以上の年である団塊世代の方達の元気な事!一週間ですが、一緒に生活を共にしているといろいろみえてくるのです。皆に共通していたのは、「メリハリのある生活されてるんやなぁ」ってこと。本当、ピチピチでしたから、皆さん!



毎朝5時起きて散歩に出かけるというOさんに「私も行くので連れてってください!」とお願いして、一緒に散歩に出かけました。
それでも朝5時に起床って・・・・最初の2日はおきれずOさんを裏切りました(汗)「帰るまでには絶対起きますので!」と約束して、なんとか一回ご一緒する事ができました

朝5時の山田町はま~っくら。そこで見たun bellissimo cielo stellato。。綺麗な星空。朝の星空って夜とはまた違う美しさがあって、なんとも幻想的。「はいはい、日が昇りますよ~」と、メッセージをくれるような「希望の星空」。すーーーっごく綺麗でした。(ちなみに夜の星空も最高in 山田町)

Oさんが、ご自身の今までの仕事の話や、私へのアドバイスなどなどおもしろい話万歳だったため、朝っぱらからかなりアドレナリン放出 被害のひどかった海岸まで歩き、またセンターに戻りました。

「何をするにおいても、必ずメモをとること。そして証拠をのこせ」「ナンバーワンじゃなくていいから、オンリーワン目指そう」「語学だけじゃだめ。+a 何か必要!」Oさんから頂いたメッセージです。

日々の中に、「生きるヒント」ってた~くさん隠れていると思うのです。周りの人が言う事を鵜飲みにする必要はない、でも頭を少し柔らかくして耳を傾けてみる事もすごく大事だと思います。そしてそのメッセージを自分なりに噛み砕いて、吸収していけばいい。そうすれば、自分をもっと盛り上げてくれる生活のヒントを見付けられるような気がします。

Oさんのピチピチ生活に感化された私は、早速メモを積極とるように心がけ、万歩計をつけるようになりました。(めーっちゃ単純) 

メモの力はすごい!私の場合、今はまだ、メモといってもこれといってメモする事もないので、自分の思った事や、あれしたい!これしたい!あっこに行かな!ってことを手帳にいろいろ書いています。今月は「00時集合」「美容院行く」「時計を直す」「肉まんつくりたい」というメモがなされております・・・・ちなみにこれはだいぶ前からですが、毎日の体重と使ったお金も手帳にメモしてます。これはかなり効果ありまっせ

万歩計は、1日約2万歩近い数字になるのですが、これ・・・ホンマか?!この万歩計、絶対敏感すぎるわ・・・・ちなみに、一緒にお散歩したOさんは、朝のウォーキングが終わる時点で8500歩いってました!すごいですわーーー。ってことは、私の2万歩も嘘ではないのか・・・?! よく1日1万歩あるけばヤセると言いますよね。ホンマか?!オイ?!

話はずれましたが・・・。周りの人からの刺激もいただいて、気持ちよく生活するスタイルを確立していきたいなぁと、このみえボラを通して改めて感じました。



センターの裏に完成予定の「露天風呂」。ここから見る「un bellissimo cielo stellato 綺麗な星空」を見て、山田町の人達が「明日への希望」を見つけてほしいなぁと心から願います。前に進むヒントを見つけられる、「希望のお風呂」になりますように。

# by yokoala | 2011-12-06 10:18 | 日々 | Trackback

< 前のページ 次のページ >